とはずがたり

ぬるま湯の中 首までつかってる いつか凍るの それとも煮え立つの

2つの『ユウヒデン』

ユウヒデン企画、特に『幽悲伝』は遠征予告をしてしまうぐらい楽しみに待っていた作品なので、ちゃんと文字にして残しておこうと思います。


あらすじ

Dステ17th『夕陽伝』@サンシャイン劇場
大和朝廷の時代。政治を取り仕切る豪族の長・凪大王(なぎのおおきみ/山本亨)は妻を亡くしてから心を病み、摂政・猿美弥(えみや/遠藤雄弥)まかせになっていた。大王の子供として生まれた兄弟、海里(かいり/瀬戸康史)と都月(つづき/宮粼秋人)、猿美弥の娘で幼馴染の陽向(ひなた/小芝風花)。天真爛漫、自由のない宮中生活を嫌い、外の世界を見て回りたいと願う海里。対して、都月は生真面目で書物や草花を愛する温厚な性格ながら、兄に嫉妬にも似た劣等感を抱いていた。正反対の2人と活発な陽向は、喧嘩しながらも仲良く暮らす平和な日々。互いを思いやる友情はいつしか淡い恋心となり、それぞれの想いは交錯していく。
それから5年、新たに二つの部族が台頭し、倭国の中央政権である大和王権は存亡を揺るがしかねない危機へと陥っていく。大王はなお御所に籠ったままで、次なる国王の就任を待つ声も出始めていた。
王位継承者である海里は意に介さず、その舎人・出雲(いずも/荒井敦史)とともに宮中を抜け出す。すると突然、茂みから現れた富士丸(ふじまる/前山剛久)と陸奥(むつ/高橋龍輝)が2人に斬りかかってきた。
難を逃れ宮中へ戻った海里は、陽向が野蛮な民族として悪名高い熊曾の真多羅王子(まだら/鈴木裕樹)のもとへ嫁ぐことを知る。「海里があたしを連れて逃げてくれる?」都月を気遣い、応えることの出来ない海里。
ほどなくして婚礼の儀が行われる中、海里は刺客たちに襲われる。追いつめられた海里を助けたのが宮中の片隅にいた黒づくめの男、真多羅の御衛である毘流古(ひるこ/池岡亮介)だった。
血にまみれた婚礼は、海里たちの思いに反して終わりを迎える――。
(公式HPより)


夕陽伝は海里の物語であり、都月や陽向との関係性も海里を語る上のものであったと思います。お決まりの日替わりネタやキャストいじりなどもありイメージとしては「陽」「生」ですが、登場人物たちに人間味が薄いと感じました。夕陽伝の都月は生きて自分の足で陽向を連れて夕陽の向こうに歩いていくのですが、私にはそれがどこか綺麗事のように感じられ、半ば無理やりに「美しく」幕を閉じられてしまったなあなんて思っています。それが救いでもあり、臭い物に蓋をしている気がして腑に落ちない点でもあります。


Patch stage vol.7 幽悲伝 @森ノ宮ピロティホール
日出づる処、未だひとつとならず時代。
数多分かつた国のうち大和と呼ばれた地に、宿命の道を辿る2人の兄弟あり。
発狂した大王が宮中奥殿に蟄居し続ける大和国
その大和に、大王後継としての生き方に不満を抱く兄・海里と、その兄を支えることを運命づけられた弟・都月、ふたりの兄弟がいた。
頻発する内乱による疲弊と、他部族による侵略の動きに窮した摂政・猿美弥は、軍事強化のために西の熊曾族の第十四王子・真多羅と娘・陽向の政略結婚を画策する。
だが、そのことがやがて国の存続を脅かす惨事を引き起こすこととなる。
そして、歴史をも飲み込む大きなうねりがふたりの兄弟の運命をかき乱していく。
劇団Patchピロティホール初進出作品は、古事記に記された「イザナギイザナミ」の冥府来訪譚をベースに現代日本を映し出す、新しい神話の物語。
(公式HPより)


対して幽悲伝は、あらすじを読んだだけでも同じ脚本なのに違う作品なんだと分かります。
「幽けし、悲しき、伝説」というように、神話それ自体を描いているように感じました。イメージはタイトルのもつ雰囲気のままに「陰」「死」であり、泥臭く人間くさいドロっとした沼に浸かっている感覚でした。
PVの時点で今回も音楽が良いと分かっていたけれど、やっぱりすごく良かったです(語彙力)。ふと耳に入る音がきれいで歌声が切なくて、特に幽悲謡のかかるラスト近くのシーンはすでに知っているストーリーなのに夕陽伝の初見よりも幽悲伝の千秋楽の方が泣けて、改めて音楽の影響は大きいなあと思いました。
そして衣装も綺麗。末満さんの「死」のイメージはやっぱり白なんだなと思いつつ、具現化する植田さんは本当にすごいよなあと思います。このために染めた生地を使っているからか、舞台上の彩度が揃うというか、肉眼でみているのにフィルターかかっているみたいに感じました。殺陣を意識した作りになっていて動くことでさらに魅力が増すのもずるいと思います。そして殺陣をつけて稽古してくれた竹村さんにもありがとうございますと言わせてほしいです。『猩獣』を観てないから説得力ないですが、ノンバーバルでお芝居1本作ろうと思うほどに「アクション」が好きな人だからこそ、1つ1つの動きに意味を持たせることができるんだろうなあと思いました。


「未来」というものをかつてほど思い描くことのできなくなってしまったこの国で、 今一度「未来」というものを見据える勇気と覚悟を描きたいと思います。


夕陽伝のHPに掲載されている末満さんの言葉です。夕陽伝・幽悲伝のパンフにも似たような文章が載っています。
幽悲伝の都月は、夕陽の向こうで陽向に会えることを願いながら追うようにして自ら命を絶ちます。海里は大切な二人を失うわけですが、それでも覚悟を決めて生きていくしかないと気づき、大王となる自分の運命に強いられて生きていく姿こそ、末満さんが描きたかったものなのだと思います。
末満さんは、日本の神話は日本人の成り立ちを示し、神話の痕跡が未だこの国の至るところに残ると言います。そんな末満さんが古事記を通じて表現しようとした現代日本の姿や現代を生きる私たちへのメッセージは夕陽伝には無かったと思っています。夕陽伝も好きですけど、単純に末満さん好きとしては脚本も演出も末満さんでやってもらった方が嬉しいですよね。
7月のキャンディ遊園地もそうだったように、遠征した作品は、それだけ「観たい」と思った作品でもあるし思い入れは深くなって当然だと思いますが、それにしたって『幽悲伝』は夢中になれる作品でした。3公演しかないからという理由で全通しましたけど、惰性で観る瞬間は1秒もなく、とても充実した2時間20分でした。


感想

瀬戸海里は、本気で夕陽の向こう、海の向こうに惹かれていたんじゃないかと思うくらいのブレなさがありました。だから陽向の手を「取らなかった」という印象が強いです。大王になることを決めたのは彼なりの方向転換か回り道であり、まずはこの国を立て直すために踏ん張るけれど、そのうちまた夕陽の向こうに興味が向くのではないかと思ってしまいます。瀬戸さんの持ち前の器用さもあるのか、バカ王子と言われる海里としては、まとまりすぎているような気もしました。
村川海里は、どの台詞をとっても言い訳がましく聞こえ、自分の運命から逃げる手段として、夕陽の向こうに行きたいと言っているように感じました。自分に自信がないから、陽向の手を「取れなかった」のだろうなと思わせる海里でした。それでこそ「バカ王子」かなあ…なんて思って、個人的には村川海里の方が好きです。
勁剛くんは運動が苦手なはずなんですが、動ける勇歩くんに少しも見劣りしなかったのは凄いなあと思います。稽古が始まる前から殺陣の練習してましたもんね。図らずも海里と真逆ではありますが、改めて努力の人だと思いました。

  • 都月(宮粼秋人/松井勇歩)

都月が報われるにはどうしたら良かったんでしょうね。海里と陽向が大好きだっただけなのに、思い通りにはいかない苦しさに目をつぶりたくなります。
自分のやりたいことではなく国のためにしなくてはいけないことを優先し続けた都月が、夕陽伝では「好きなことをさせてくれ」と言って陽向を連れて夕陽の向こうに自分の足で歩いていくわけで、捉えようによっては陽向と共に居続けることを選びとることができているんですよね。しかし幽悲伝ではそれすら叶わず、都月が唯一できたことと言えば、自ら命を絶つということだけという、どうしようもない絶望を突き付けられます。
秋人くんは薄桜鬼と社中さんのネバーランドでしか観たことないから、これだけ負の感情を露わにする役をみるのは初めてでした。上手いのは知っていたけれど、もっともっといろんな作品に出てほしいなあと思います。岡村さんの視界に入るようになって唯一うれしいことは、つか作品への出演が増えることであり『引退屋リリー』は非常に楽しみです。ぜひ観に行きたい。
勇歩くんは(こういう言い方するのは良くないかもしれないけど)上手く、巧くなったんだなあと思います。コメンタリーとかでもわりと鋭かったりして、動物的というか感覚だけでやってるようなところもあるんだろうけれど、勘がいいんでしょうね。ヒューゴもそうだし、逆さの鳥の越智もそうだし、こういう閉塞的な役が似合いますよね。本人はコントみたいなコメディみたいな作品の方が好きなんだろうなあとずっと思っていたんですが、Dステでは「アメリカ」が好きと言ってのけた松井勇歩の今後に期待しかありません。

どっちの出雲も海里のこと放っておけなくて大好きで、海里には出雲がいて良かったなと思いながらみていました。海里と都月と陽向と3人で幼馴染と言っても出雲は海里寄りにいたし、都月にも出雲みたいな人がいたら違う結末だったかもしれないのになあと思います。
夕陽伝の出雲は舎人としての自覚があり普段は海里に敬語を使っていて、ここぞというところで友達に戻り海里の背中を押しますが、幽悲伝では友達の感覚が抜けきらずタメ口をきき続けては猿美弥に怒られるっていう分かりやすい違いがありました。荒井出雲はその言葉遣いのせいかもしれませんが、蚊帳の外感が強いんですよね。どちらがどうというわけでもないですが、ややスローモーション気味に跪いて「海里様」と呼ぶ竹下出雲がドラマチック過ぎて泣きました。
荒井さんはいつの間にDステにおいて作品の安定感を担う存在になったのかとびっくりします。GARANTIDOの時の衝撃を思い出しました。荒井さんの都月とかも観てみたかったなあと思います。健人くんは初めての人には眉毛の印象しか残らないんじゃないかっていうくらいの眉毛いじりを受けていましたが、私の好きな実直な竹下健人が舞台上にいたのでうれしかったです。抑えた芝居が続くから、次は感情を爆発させてぐちゃぐちゃになる役とか観てみたいですね。

夕陽伝と幽悲伝で最も印象が違うのがこの真多羅という役だと思います。
夕陽伝ではネタパートを率先しているのが真多羅なので、どうしても鈴木裕樹が垣間見える瞬間ができてしまうので物足りなさが残ります。パパに振り向いてもらえなくて、手を貸してくれそうな毘流古について行ってみたけど利用されるだけで満たされなくて、海里に自分を重ねて助けたいと思うけどそれもうまくいかなくて…駄々をこね続けているようにしかみえないんですよね。一方で、幽悲伝の真多羅におふざけは一切なし。追い詰められて毘流古の手を借りるしかなかったけれど、それも間違いだと気づいた時には八方塞がりで、どう進めばいいかわからなくなっているというところは同じなんですが、因幡がいることで真多羅にもまた信念があり、誰かに「支えたい」と思われる存在なのだと気づかされます。海里に出会ったとき、助けようと手を差し伸べるわけではなくて、真多羅自身が手をつかんで欲しかったんじゃないかと思います。弱い人ですね。
ずっきーのお芝居は間が好きだと思っているんですが、繊細な表現がうまいんだなあと改めて好きになりました。引退屋リリー出るんだけど、ずっきーの発声とつか作品が結びつかないから、観てみたいなあと思います。らんくんは、熱海のときも思ったけど、独特の存在感がありますよね。真多羅を演れるメンバーは今のところ思いつきません。らんくんから放たれるオーラみたいなものが、もっと至るところで発揮される世界になればいいなと思っています。まずはニチアサの悪の幹部とか…どうでしょうか。

  • 猿美弥(遠藤雄弥/中山義弘)

国のために娘を差し出すようにみえて、本当は一番自分を犠牲にして生きている人なんだと思います。
遠藤さんの父親役はすごく良かったです。久しぶりにえんやのお芝居をみたけれど、自分の気持ちを押し殺して国のための選択をしているのだと分かる演技をされていて、かっこいいなあと思いました。
よしくんはやっぱり上手いですよね。同年代ばかりのpatchの中で経験の差こそあれ、父親役をあそこまでどっしりと構えて演じられるのは今のpatchにはよしくんしかいないだろうなあと思います。幽悲伝では都月や熊曾側の描写が濃くなったことで猿美弥のシーンは減っていて夕陽伝よりも陽向に対する想いを吐露するシーンが少ないけれど、それでもひしひしと伝わってくる猿美弥の想いというものが、たしかに存在していました。

  • 富士丸(前山隆久/井上拓哉)

富士丸の役割が夕陽伝よりも幽悲伝の方が重かったと思います。幽悲伝では海里にとって富士丸の言葉が最後のひと押しになってますもんね。全部は覚えてられなかったけど「あんたはこんなところで膝を汚してるようなお人じゃねえ」ってのだけは忘れられないでいます。海里と富士丸が出会ったときに「明日何していたい?」という問いに「生きててえ」と答えたように明日の暮らしもわからない中で他人に希望を見出せるのは本当に純粋だし、末満さんが現代の若者たちに目指してほしいと願う姿なのかなあと想像したりしています。
拓哉くんはメインの役、キーとなる役が多くて、本人としては富士丸という役になったのは悔しいという気持ちが大きいのだろうけれど、富士丸が良くないとこの話は急に薄っぺらいものになってしまうと思っています。海里を現代の私たちだと想定するのであれば、あの富士丸の言葉は私たちを励ます言葉で、末満さんからのメッセージということになりますからね。「言葉を発した瞬間に劇場の空気を変える」、そういう芝居ができる役者さんだと思ったし、やっぱり末満さんからの拓哉くんのお芝居への信頼は厚い、そう感じます。

どちらのユウヒデンでも癒し担当ですが、龍輝の方があざとくて、吉本くんの方が無邪気ですよね。夕陽伝では岡村さんの贔屓もあって富士丸よりも陸奥の印象が強いし、拓哉くんがそうであるように龍輝もセリフに籠める力の強い人だと思います。りゅーき・よしくん・らんくんのダンスはオタクとしては嬉し過ぎて漏らしそうだったけど作品的にはいらないし、ダンスで見せ場作るとかじゃなくて、もっとお芝居で何かなかったかなあとか思います。
いろんなしがらみに囚われ、自分の選択や過ちに羽交い締めにされていく海里と都月、陽向に対して、陸奥はとても眩しくうつります。特に陰鬱とした幽悲伝の中で自由に動いて明るさを一手に担う陸奥を演じるたかっちゃんの姿には天性のものを感じます。誰にでもできる役じゃないですよね。

  • 因幡(ー/杞山星璃)

幽悲伝にしかいない役。因幡がいることで熊曾には熊曾の正義があることが明確になりました。真多羅もまた、誰かに付き従われるような信念を持つ男なのだと思わされます。海里に対する出雲のように、生まれた時から真多羅に仕える因幡が、真多羅を庇い、「あなたを熊會の王に…」と言い残して死んでいく姿に、最後まで悪意を感じることはできませんでした。
それにしてもしょうりくんは殺陣がきれいです。三津谷さんの毘流古に対して鋭い太刀筋が一際目立っていたし、抜刀と納刀が流れるようで大変美しかったです。

どっちの陽向も海里しか眼中に無さ過ぎだし、もはや何で都月じゃダメなのか私には分からないです。乙女心ってやつなのでしょうか。
風花ちゃんは死んでからの豹変が印象的で、死人になった陽向を迎えに来た都月に対する「お前じゃない。」が怖すぎました。死人になってからのセリフも多かったように思うので、「見せ場」を考えた岡村さんの演出としては後半の陽向に重きをおいているのかなあと思いました。
それに比べて田淵さんは、アフタートークで女性を演じるということは意識せず陽向を突き詰めていったら女の子になったとおっしゃっていたし、きっと生きて3人で過ごしているときの陽向を大切にしているんだろうなと思いました。そもそもオールメールが苦手な人もいるでしょうし、好みの問題だと思いますが、わたしは田淵さんの陽向の方がかわいいし好感持てます。

  • 凪大王(山本亨/中川浩三)

パパはまじ余計なことしかしないなって思いながら見ていました。パパが息子をそそのかさなければ黄泉平坂は開かなかったのにさ…って、ずっと思ってました。しかも夕陽伝では長男である毘流古を抱きしめられるのは、その命が尽きてからなんですよね。幽悲伝では一応、毘流古が生きてるうちに毘流古を抱きしめることができているので、かろうじて最期に父親としての役割を果たせてはいるかなあと思います。

末満さんがおいしい役だと言ってのけるくらいの役どころです。毘流古もやはり「悪」ではなく、彼には彼の正義があるから狂人だと切り捨てることはできないなあと思います。自分でクズだと自覚し、そんな自分が生きている理由を自問し続けるのは、想像を絶するしんどさ、辛さで、それが彼をさらに歪めていくことになるんでしょうね。
二度目の死を迎える時に、死に怯える姿が印象的ですが、本当に恐れていたのは死ではなく思考停止に陥ることなんだろうなあと思います。
池岡に当て書きだそうですけれど、末満さんには池岡がどうみえているんでしょうね。私は常々掴みどころがない人だなあと思っているわけですが、毘流古みたいな役もできる幅のある人だとは思ってなかったから正直驚きました。池岡さんのことをなめてるつもりはなかったけれど、想像以上なんだなあと反省しています。
三津谷さんに関しては私が盲目であることを差し引いても、素晴らしかったです。キャパ1000人という広さのピロティホールが三津谷さんのものになっていました。池岡毘流古がクネクネした操り人形みのある動きだとしたら、三津谷さんの動きはスライムみを帯びてて三津谷さんて何者なんだろうと心底不思議に思っています。体が柔らかいとかそんなレベルではないんですよ。もちろん動きだけじゃなくて、セリフ回しも抑揚があってすごく惹かれました。相変わらず華もあるし、怖いもの見たさというか、毘流古から目が離せませんでした。毘流古が「ここから先は悪夢ばかりだ」と言った直後にカチッと音を立てて照明が落ちて真っ暗になる演出とそのあとの静寂がたまらなく怖くてトラウマになりそうで大好きな演出です。




そんなわけで2つのユウヒデンを堪能しました。とは言っても、夕陽伝だけだったら、いつものDステと同じくらいの思い入れしかなかっただろうなあと思います。ここまで夢中になれたのは間違いなく幽悲伝があったからだと思いますし、そこにPatchのピロティ本ホール進出とか三津谷さんとPatchの共演とかの付加価値がついて今に至っています。劇団Patchはまだまだこれからの劇団です。でも、そのことを本人たちが知っているのは強みだと思います。それに、自分たちを劣等生だと言い放ち、光を求めて頂点に立つためには地べた這いつくばって泥だらけになることを良しとし、その姿を恥ずかしげもなくむしろ誇らしげに見せつけてくる彼らから目を離すことはできないなあと思うのでした。
それにしても12月の照準を19、20日に合わせ過ぎていたから、幽悲伝ロスしているうちにクリスマスも終わってしまったし、気づけばもうすぐ年が明けてしまいます。なんてこった。