とはずがたり

ぬるま湯の中 首までつかってる いつか凍るの それとも煮え立つの

自分語り⑩わたしと趣味

年が明ける前にかけこみ更新。


「休みの日は何してる?」「趣味は?」
新しい出会いがある度に聞かれるが、いつも答えに困る。
「趣味 意味」で検索すると「仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。」と出てくるくらいなので、普通に考えて若手俳優やアイドルのファンをしていると言えば良い。まあ実際に休みの日は舞台やコンサートに行ったりDVDを観たりしているわけなんだけど。それでもやっぱり「趣味」ではないと思うのだ。
仮に私がオタT自作したり、データ系のオタクだったり、同人活動していたりすれば、それはもう胸をはって「趣味」と言いたいところなんだけれど。私のようにただパフォーマンスを享受するだけの場合は、「どんなアーティストが好き?」って聞かれて「アジカンとかバンプを聴くかな~」と答えるとか、「今期はドラマ何見てる?」「逃げ恥かな~」とか、そのレベルの話と大差はないのではないかと思っている。自分のテンションを上げてくれたりストレスを解消してくれる存在ではあっても、私自身が行動し、何かを産み出しているわけではないから。好きになった俳優の舞台を観に行って泣いたり笑ったり、可愛い女の子が頑張っている姿に心打たれたり、ただただ美しい容姿に見惚れたりするのを趣味とすることが、どうしたって私にはすんなり受け入れられないのだ。
「趣味」に対してのハードルが高いのかもしれない。仕事ではないのだから生産性はなくてもいいはずだし、深く考えず好きなことやってたらいいんだろうけれど、どうやら私は「趣味」には「自分自身が行動すること」が必須なことであるように思っている節がある。ただアイドルや若手俳優の作品を観ることではなく、「能動的」な体験をしたいと思っているのだ。


そんな私は、昔も今もとにかく変化を嫌って生きている。安定、それが自分の望むことだと思っていた。
でも気づいてしまった。チャレンジをしない、勝てる勝負しかしない、ということと、安定は全くの別物だった。
学生時代は自分が願わなくても1年経てば自動的に学年が上がっていくし、日々授業を受けることで勝手にスキルが上がっていった。「変化」していたのだ、就職するまでは。就職して4年目に入って私が感じたことは「停滞」だった。守ってきたつもりでいるだけで、変化から逃げて留まり続けているだけなのではないか、と感じた。
何でもいいから何か変化が欲しい、という気持ちがどんどん大きくなっていくのを感じた。
口を開けば上司の愚痴ばかりの職場。帰宅してTwitterをみて新しい情報がないか確認し、平日の仕事終わりにいそいそと劇場に向かい、なんとなく満足して帰る。
あんなに楽しかったのに、なんだかつまんない人生だなと思うことが増えた。楽しいのは劇場にいる2、3時間。その他の時間が満たされなくなってきた。以前は、1公演で何日も楽しめていたのに。上をみればまだまだなんだけど、それでも、観劇数が積み重なっていくにつれて感覚が麻痺してきていたのかもしれない。
「変わりたい。」
そうは思うものの、10年近くも同じところにいたのだから、腰は重いし、何より怖い。
身動きが取れない自分がいた。


10年前、気が付いたらテニミュが好きで、三津谷さんや矢崎さんを追いかけて、自分が何の抵抗もなく入れるジャンルが「芸能」になっていた。芸能ジャンルでも分岐は様々だけど大枠では同じで、どこに行ってもおおよその身の置き方は分かるからハマりやすい。でも、だからこそ、芸能というジャンルから離れたくなっていた。勇気のいることだけど、そうしない限り、停滞しているイライラはおさまらないような気がしていた。
たかが趣味の話だろうと言われればそれまでだ。好きなことやったらいいし、自分に合わなかったらやめたらいい。たしかにその通りだと思う。頭では理解出来ても私の人生にとって「趣味」というものの存在が大き過ぎて、心が追いつかない。あと1歩が踏み出せない、そんな心境だった。


三津谷さんや矢崎さんを嫌いになったわけじゃない。今でも好きだし、むしろガチ恋になってきてるんじゃないかとさえ思う。ただ、2人の夢を自分の夢として生きることでは満足しなくなってきたということなんだろう。
「TRUMP」のアフタートークで荒木さんが、「飽きるまでD2を応援してあげてください。(D2が)飽きさせないと思うんで。」と言っていた。大好きな言葉で、ことあるごとに引用してきたのだけれど、私は飽きてしまったんだ。残念なことだけど。
三津谷さんは「各々の歩幅で応援してほしい。でも忘れないで。」と言っていた。ここで叫んでも彼には届かないし、もう届けるつもりもないけれど、忘れるつもりはない。それでも自分で心から行きたいと思えた時にだけ、劇場に行こうと思うよ。


自分で「趣味」と認めていなかったとしても、時間を舞台やアイドルに費やしていたことは事実であり、劇場に通わなくなると必然的に時間が余るようになった。今までは、「趣味」がほしいと思っても、それに対して行動をおこすことはなかったのだが、単純に暇になりそうだったので、「趣味」をつくろうと思うようになった。


そんなわけで、私の中で趣味探しが始まった。