とはずがたり

ぬるま湯の中 首までつかってる いつか凍るの それとも煮え立つの

1、ハイバイ『夫婦』(東京芸術劇場シアターイースト)

2016年初観劇。
いきなり初めての劇団さんを観にいった経緯としては、橋本さんがTwitterで観劇報告したことが直接のきっかけといえばそうなのかな…。いつもなら観劇報告ツイートがあっても気にとめないので自分でも理由はよく分からないのだけれど、なんとなくハイバイのことを調べてた。岸田國士戯曲賞で名前を聞いたことがあったからかもしれない。


それでみつけたのがこのインタビュー。

www.hmv.co.jp

岩井:『こういう物語をみんなで作りました、じゃ、今からやります』っていう、隙間なく何かが起こりつづけている『おとこたち』みたいなのもひとつのやり方だけれど、もうちょっと余裕を持ちながら、観てる人みんなが自分のことも考える時間があるような。

― ハイバイの演劇は、観た後に触発されて自分のことを考えてしまうって言われますが。

岩井:それでもいいけど、観てる最中にも、さらにもっと……。

― 物語が強いと、それを追っちゃうってことですか?

岩井:そうそう、『次この人どうすんの?』ってのだけだと、自分のことは置いといちゃう。今回の作品は、自分のこととか自分の周りの現実の世界のことを考えるためのものとしてっていう意味合いが強くなる気がする。ぼくにとって、なんせ演劇はそういうものだから。


私が知る脚本家さんや演出家さんの人数はたかがしれているけれど、こういうことをはっきりと言葉にしている人は私にとって初めてで、岩井さんがつくるお芝居に興味が湧いてしまった。チケットが完売で当券も入手困難というのも観たい気持ちに拍車をかけたし、そんななか予約流れかなにかで事前にチケットが買えたのは運命かなって思っている。


インタビューでも、観てる最中に観てる人が自分のことを考えるくらいの余裕が欲しいと言っているように、お話の密度は決して濃くなくて淡々と進む物語。なのに2時間ほんとにあっという間だったのがびっくりした。
肉親の死にまつわる話をこんなに冷静に紡ぐことができる人間がいるのか…と衝撃を受けた。バカっぽいけれど、すごいなーって感想しか出てこなかった。自分の家の話なんだよなあ…。自分の身の上に起こった話なのに、なんでこんなに冷静にかけるんだろうか。すごいなー…


岩井さん(役の菅原さん)がずっと両親を眺めているのが印象的だった。その姿をみながら、この舞台は岩井さんが今回の件を浄化、昇華するためのひと手間だったのかも、と思っていた。観客はあくまで、そのおこぼれに授かって、自分たちの家族や両親、恋人に思いを馳せることができた。いろんな人に取材をしてこの作品をつくった岩井さん。目の前にそれだけ父親の死とその真相に対して真摯に向き合ってる人がいて、感化されてしまうのだろうなあと思う。


はたまた、岩井さんの「夫婦」ってなんなんだろうなあ、という単純な疑問なのかもしれない、とも思っている。暴力的な夫に耐え、離婚を申し込んでも受け入れてもらえず、「釣った魚に餌やる馬鹿がいるか?」とまで言われた夫婦生活は、お母さんにとって苦しいことばかりだったはずで、それでも情があったのだろうかと不思議に思う。と同時に、私は女だから、お母さんの気持ちが少しだけ分かる気もしている。仕事をしている、夢を語るお父さんはかっこよかったんだよ、きっと。医師としては優れていたお父さんが院内感染の危険性を語る件とかわたしも惚れそうだったもの(笑)だから、お父さんの手術のリベンジというよりも、腹腔鏡手術をやってみたかった、お父さんが人生かけたものを知りたかった、だといいなって思う。きれいな話しすぎるかな(笑)
それにしても、釣った魚に餌やる馬鹿がいるか?と言い放たれた言葉が空中にずしっと留まって酸素が薄くなっていくような感覚だった。今でも結構強烈に耳に残ってる。
このラストと対象的なのは棺桶を選ぶシーン。ちょっと笑いのパートでもあるから、どこまでが真実でどのくらい脚色されてるのか分かりませんが、頑なに安いものでいいという母と、ちょっと良いものにしてみようか最期だしさすがに…と葬儀屋のセールスに悩む岩井さん。ずっと共に生きてきた妻だからこそ、夫の死を迎えてもひどく冷静なのだと思った。きっと愛してるけど憎くて、憎いけど愛してるんだろうと思う。


父親の暴力性がショッキングに取り沙汰されて宣伝されていて、広報的にはそれで良いのかもしれないけれど、この父親の本当にやばいところは、話を聞いてないってことだった。そしてそれ以上にショックなのは、酔っ払って暴力をふるったことを覚えてなかったことだ。最悪、それでもいいとしても、出勤前に怪我してる自分の子供をみて何もかんじないのは相当ひどい。向き合えてない。自分の領域だと思っていないから口を出さない、のかもしれないけれど。


それはそうと、劇中の説明によると岩井さんは母親が加入したWOWOWのおかげで引きこもりをやめて外に出たらしい。エンタメに救われた人が生み出すエンタメってだけで、俄然興味が湧く。


最後に。
自分で言うのもなんだけど、私は幸せな家庭に育った。世界一だなんて馬鹿げたことはいわないけれど、たぶん、それなりに。欲しいと言ったものを諦めた覚えはない。私自身が「わきまえる」子供だったこともあるけど(笑)やりたいことも、ほとんどやらせてもらえたし。ピアノの練習さぼって母にお尻を叩かれた記憶が1度だけあるくらい。鮮明に覚えてるから、滅多にないことだったんだと思う…なんて。お約束通り自分の家族のことを思い出したりした。岩井さんの思う壷だ。


とはいえ、観劇中は病院のことばかり考えていたのが正直なところ。岩井家が自分の家族とかけ離れすぎていて、私には医療者側の方が「リアル」だった。職業柄いろんな家族を見る機会が多いけど、弱ってる時に労をいとわず無条件で助けてくれる存在って本当に限られてくる。いくら暴力をふるわれ続け死んだ方がせいせいするような父親であっても、こうして舞台という形にしなければ浄化できない、それほどの存在の大きさ。そういうの血の因縁なのかもしれないなと感じている。