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とはずがたり

ぬるま湯の中 首までつかってる いつか凍るの それとも煮え立つの

自分語り⑧わたしと℃-uteその2

自分語り
ファンとしての立ち位置

最近はてだを読んでいて思うのは、ジャニオタは考察系ブログが多くて自分語りは担降りブログくらいなのに対し、俳優オタはレポや観劇感想はあるけれど考察系は少なくて、それよりも自分語りの場として使う人が多いのかなということ。全記事チェックしているわけじゃないから違っていたら申し訳ないし、そうじゃないブログがあるなら読みたいので教えてほしいくらいなんだけど。応援スタンスとか認知や手紙、プレゼントへの考え方とかテーマはいろいろあるけれど、みんな一度は悩んでいることがあるようで、それは共通して役者とファンの近さが生んでいるものなのかなとも思う。私は認知とかされたことないけど、それでも距離が近すぎて、自分が応援するかどうか、どのくらい応援するか(=お金を落とすかどうか)が役者人生を左右する気がして、その人の人生に関与しているのではと錯覚する。そんなわけがないと分かっているつもりなのに、それでも観に行かないという選択ができなくて後に引けなくなっていく、そういうしんどさから離れたくなった。それなのに、誰かを応援するという行為をやめたくはないという気持ちがあるのが厄介で。私にとっては応援するということが現実逃避や疑似体験であり、それこそがストレス解消になっている自覚があったから、やめたくはなかったのだ。
そこで行き着いたのが、もう出来上がっている「アイドルとファン」の関係性を数メートル離れたところから眺めるということだった。JUMPや℃-uteが居心地が良いのは、新参だから、にわかだから、と思うことでオタクとしての気負いを感じなくて済むからだなと冷静になって考えている。まあ、JUMPにハマったのは衝動的なところもあるし、℃-uteは解散というリミットがついてしまったからなので、後付けと言われればそうなんだけど。

なぜアイドルを好きになるのか

私のアイドルへの想いは、ただ憧れと羨望。恋人になりたいとか、お近づきになりたいとかではなく、ただただ「この人のようになりたい」、という気持ちが強い。
そして、集団で1つの目標に向かって努力をするという青春をおくることがついぞなかった私にとって、アイドルグループを応援することは疑似体験なのである。私はまだ青春の途中をこじらせているのだ。

℃-uteの解散に対して

そんなわけで℃-uteの解散を通して、アイドルというものをどう認識していくべきなのか、どう付き合っていくのか、とか考えている最近。
℃-ute解散」、そう大きく書かれた新聞記事には、「それぞれの夢ができたから解散する」と書いてあった。*1
愛理が歌い続ける気がないなんて、この記事は嘘に決まっている。
ちさとは℃-uteのために先陣きってバラエティ頑張ってたんじゃないのか。
なっきぃの歌がメキメキ上達していたのにもったいない。
何のためにまいまいは謝罪したのか。
次々と溢れる不信と疑念。
私は常日頃、卒業や解散を決めた女性アイドルは「美しい」と言っている。目が大きいとか鼻筋が通っているとかそういうことではなく、「瞳の色が変わる」、「顔つきが変わる」というのは、こういうことを言うのだなと卒業を発表する姿や卒業公演でサヨナラを告げる姿を観ていつも思う。それなのに。最も可愛くてかっこよくてアイドルから憧れられるアイドルと称される彼女たちが解散を発表する姿は、ちっとも「美しく」なかった。さみしいとか悔しいとかそういう気持ちではなく、ただ残念だと思った。
5人の意見が初めて一致した、ということは、誰かがやめようと言い出し、そうだねと肯定をしたということだ。やめることがまず先に決まった。美しくない理由はそれだと思った。それは℃-uteとして居続けることを諦めたということと同義だと思うから。人気や売上的なことだけではない、「5人で」ということを彼女達は諦めた。私にとって一番悲しいのは、そのことなのかもしれない。彼女たちは本当に仲が良いのだと思っているし、きっとこの先も友達なんだと信じている。それでも「仕事」を通して出会った彼女たちがこの先の「仕事」を一緒にしていくことはできないと思ってしまったのだろうと想像すると、とてつもなく悲しい。


中高一貫だった私は中高時代の友人が最も気の置けない友人であり、いわゆる親友というものなのだと思う。時折、冗談なんだか本気なんだか分からない口調で将来皆でカフェをやろうという話がでる。なんだかんだカフェを経営できるスキルを持ったものが集まっていることもあって、アラサーを迎えた今でも年に1回くらい話題になって、私が一人いやだと反対するネタみたいになっているけれど、私は結構本気でいやだと思っている。人間関係には、仲が良いけど仕事を一緒にするような関係ではなくて、仕事のコンビネーションは抜群だけど仲良しではないとか、いろんなものがある。中高一貫という純粋培養な場所で育った私たちの考え方はほぼ一緒だったと思う。それが大学と就職先によって枝分かれしていった。一緒だったものが変わっていくことに慣れていくのが一番難しいと思う。もう年齢の半分近くも一緒にいる彼女たちは唯一無二であり、今更どうとか思わないけれど、今まではなんでも気にせずと思っていたのに、わたしは自己防衛をするようになった。この子と恋愛の話はしない。この子と仕事の話はしない。私だって職場や大学時代の友人の前では違う顔をもっているだろうが、中高時代の友人の前では変わらない自分でいたいという気持ちが強い。この私の経験に当てはめることは、おこがましいし乱暴だと思うけれど、少なくとも、℃-uteのメンバーにもこういう関係性の変化があったのではないか、と想像している。
舞美ちゃんはオタクからみても、かなり潔癖だと思う。それを受け入れられないメンバーがいて、そんなメンバーを受け入れられない舞美ちゃん。というのが、いまの℃-uteに対する私の認識だ。彼女たちは本当に本当に「普通の女の子」なのだ。ただ努力の才能があったから、歌とダンスのスキルを手に入れてここまで来てしまった。今の彼女たちを観ていて一番しっくりくるのは、卒業を目前に控えた高校3年生。その姿をみていると、アイドルを離れればただの仲良し5人組になれるのだったらアイドルなんてやめてしまったらいい、という気持ちも生まれてくる。私はとにかく、仲がよくて、5人で1つのことに向かって頑張る℃-uteという集団が好きだった。きっとそれが「アイドル」だったかどうかは関係なかったんだと思う。だからこそ、ハロープロジェクトを卒業してアイドルではなくなっても、℃-uteという形は存続していて欲しかった、というのが私のわがままである。
Buono!フェスタをライブビューイングで観た時に、カンガルとピンククレスと℃-uteの間の圧倒的な実力差が映像でも明らかだった。「ハロープロジェクト」の中で℃-uteは扱いきれないだろう。年齢的なことではなくて、その存在自体が。
でも、果たして「ハロープロジェクト」をはなれて、どれだけのことができるのか…、とも思う。安倍なつみ高橋愛藤本美貴松浦亜弥矢口真里辻希美…など、ハロプロOGに卒業後も活躍している人はたくさんいて、ハロープロジェクトというのは、それだけ本人たちの地力のある子が集った団体なのだと思うけれど、音楽的に成功し続けている人がいるかというと、「いない」というのが現実。彼女達がそのスキルやタレント性に憧れていた人でも難しいことを成す、それだけの覚悟を彼女たちに強いるのかと考えると、井の中の蛙は大海を知らないままの方が幸せなのかもしれないとも思う。

舞美ちゃん推しとして

ただひとつ、舞美ちゃんに関しては、「舞美推し」からすれば違う考え方もできる。
グループを組んでいること、ハロプロリーダーになったこと、身動きが取りにくいのだろうということは外野からでも容易に想像ができるからだ。一人のアイドルではなく、ハロプロリーダーとしての評価もくだされるということを、まじめな彼女は必要以上に意識してしまうのだろうと思う。舞美ちゃんの本心がどこにあるのかは私なんかが知ることはできない。アイドルとして℃-uteとして在りながら女優になることが一番の望みだったのか、折を見て女優一本でいくつもりだったのかは分からない。でも、真野ちゃんをみていると、ハロープロジェクトを離れないとできない仕事がたくさんあるというのも事実だ。舞美ちゃんが本気で女優になりたいと願うのなら、このタイミングでの解散は悪い選択ではない、と思うのだ。

女性アイドルと「解散」

アイドルとはなんぞや、という話で、もっと人生かけてオタクやっている方々のアイドル論文とか読んだらいいのだろうけれど、私は学術的に分析や解明をしたいわけではなくて、あくまで自分にとってアイドルとは、アイドルを応援することとはどういうことなのか、というのを言語化したいと思っているだけだ。
個人的に、女性アイドルにはリミットがあるものだと思っている。「解散」や「卒業」を含めて、「女性アイドル」というジャンルのパフォーマンスだと考えている。
その理由は他でもない「出産」だ。出産する希望が本人にないのであれば、それはもういつまでだって「アイドル」でいてくれてかまわないと思っている。それはアイドルとして恋愛禁止だとかそういうことを超えたところの話なのだ。男性と女性ではどうやっても、結婚し、妊娠、出産した時の役割が違う。結婚はまだ制度上の問題で、実質的な変化はなく、観る側の精神的な変化だけだと思う。それでも、―私の職場がそうなだけなのかもしれないし、もっとジェンダーレスな会社とかだと違うのかもしれないが―、結婚した女性は職場でも「妻」になり、子供が生まれれば「母」になる。男性はあまり「夫」や「父」としての顔を職場で持つことがないのではないか、と感じている。
そして最大の違いは「妊娠・出産」において、女性には職場での空白の時間が生じてしまうということだ。女性の方が育休がとりやすいとかそういう制度的な問題ではなくて、女性しか妊娠できないという生物学上の事実として、女には一人の社会人としては何も生産できない時間が存在するのだ。そして、産休から職場復帰した女性が、また一人の女性としてみられることは難しく、「母」として扱われるだろうと想像する。産休あけの女性が再び「アイドル」を名乗ることは今の世間のアイドル感からすれば不可能な話だ。だからわたしは女性アイドルには卒業や解散がつきもので、そこまでがアイドル人生なのだと思っている。
だからこそ、どの女性アイドルにも想いのこもった卒業や解散を決断してアイドル人生を締めくくって欲しいし、心をこめて次のステージへと送り出したいと思っている。


℃-uteの解散に対して思うのはただ一つ、その最後をどんなアイドルよりも美しく飾って欲しいということ。
そして私にできることは、一秒でも多くステージに立つ5人を観届けることだけだし、少しでも美しい最後の助けになるような応援をすることである。

*1:これは後々に形式的な「事務所の公式発表」でしかないと分かるのだが。