とはずがたり

ぬるま湯の中 首までつかってる いつか凍るの それとも煮え立つの

自分語り⑥わたしと「オタク」

まさか、ジャニーズにハマる日が来ようとはおもっていなかった。
じぶんのこころがどう動いてこうなってしまったのかは正直分からない。
ただただ流されるようにここまできてしまったような気もするが、流されることを良しとしたのは自分なんだよな、とも思っている。
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舞台を観なかった1か月を経て

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2011年から舞台を観るようになって(正確に言うと2011年の6月は観ていないので、7月からということになるが)久しぶりに1か月舞台を観ることがなかった。
まあ、指針を出したばかりというのもあって、観劇回数を抑えることに必死だったというのもある。
観劇回数がへると冷静さは反比例するように増えていった。
あれだけ見逃したくないと思っていたものを、どうでもいいのではないかと思うようになっていた。
2月に控えた「SHOW BY ROCK!! MUSICAL」も、原作知らないし本当はとばそうと思っていたんだけど、友達が一緒に行こうというもんだから観に行った。
楽しかったけど、違和感があった。せっかくだからと三津谷さんの誕生日にいったけど、昼ではなく夜公演がサプライズで千秋楽では涙を流していたらしいけれど、見たかったなとは思わなくなっていた。
このあたりで、観劇回数を抑えられない気持ちの裏に、三津谷ファンに対して「三津谷さんのファンだ」と認識されていたい、という気持ちがあることに気がついた。他のファンに比べて現場に行かなくなる自分に劣等感も感じた。
いつのまにか三津谷さんファン・矢崎さんファンであることが自分のアイデンティティになっていたみたいだった。

念願のソロイベント

そんななかで三津谷さんのソロイベントがあった。*1
本人もファンも望み続けたソロイベントがようやく叶った。行かないという選択肢はなかったし楽しめる自身もあったけれど、ここでどう転ぶかカケだ、わたしにとっては、そんなイベントだった。

三津谷さんへの甘え

思っていたとおり、愛しかないイベントで、すごく楽しかった。
でも、周囲との温度差を感じた。私は静かに「ここがひと区切りだ」そう感じていた。そう思いながら聞いていた最後の挨拶で、「みなさんの歩幅で応援してください。」そう言ってくれた三津谷さんに甘えることにした。
嫌いになったわけじゃない。むしろイベント後、大好きになった。
でも、三津谷さんのことを人として好きなのが勝ってしまった。俳優としての三津谷さんを推し続けることはやめようと思った。
2.5次元ミュは楽しい。それは知っている。でも、知らない原作を初日までに予習したりどんなキャラかなって想像したりする日々は楽しいものではなくなってきた。別に予習しなくてもいいと思うかもしれないし、舞台で原作の良さに触れたらいいのかもしれないが、それはなんだか作品を「消費」している気がして、私が一番最初に避けたかった行為に戻ってしまう気がした。三津谷さんが出ていなくても観たいと思うものだけ観ようと決めた。

FC加入

茶の間で完結するので、JUMP熱は相変わらず続いていた。観られる環境にいると、やっぱり観たくなってしまうものである。
ツアーが発表され、シングルが発売され、この曲を踊っているメンバーが観たい…!と思った瞬間に、コンサートに行きたいという気持ちが振り切れた。
ジャニーズはFCに入らなければチケットが取れない。入るしかない。いま入会すればまだツアー申し込みに間に合う。4月15日、振込用紙をもって郵便局にむかった。三津谷さんソロイベントの2週間後のことである。

観なくても何も変わらない

三津谷さんのことばかり書いているが、当然のことながら矢崎さんへの思いの変化もある。
矢崎さんはお芝居も歌声もかなり好きなのと、推すと決めた意志もあるので、推し続ける気でいた。
ただし、「わたしの頭の中の消しゴム」に行けなかったことで世界が反転した。
友達の結婚式で海外にいて、もうどうにもできなかったのだが、それでも、大好きな人が大好きな作品に出るのに、それを見逃した。泣くほど悔しかったし、しばらくはひきずると思っていた。
だけど、なんのダメージもなかった。矢崎さんが消しゴムに出ていた事実なんて無かったかのようだった。
そして、私が夢中になっていたことは自分自身を形成するものになんら影響していないんだと気づいた。もっと生産的なオタクだったら違うんだと思うけど。同人活動とかしてれば。
でも私はただただ流れている甘い蜜をすするだけのその他大勢。それなのに見続けているうちに、見ることが当たり前になって、見ないと自分が自分でなくなるような気がしていた。当たり前だけど舞台ひとつ見逃したところで、私はなんら変わらず生きていける。
なんだ。観なくても生きていけるんじゃん。頭悪すぎるけど、本気でそう思った。
不可抗力ではあったけれど、推しの舞台を観ないことは罪ではないと考えを改めることにした。

はなから違った想い

そんな折、はてだで流行ったのが、推しに書く手紙についての記事だった。
みんな毎公演のように手紙を書いていた。オリジナルの封筒作ったり。自分でルールを決めて書いていたり。
まず、はてダをやっている時点で書くのがすきなのだろうし、わざわざ記事にするくらいだから、お手紙に熱い方々だから、みんながみんな同じではないのだろうけれど、情熱の差を感じた。
はっきり言って、私はここまでの気持ちはもう無い。昔はあったよ。でも今はもう違う。
私はこの溢れる情熱を持つ人たちと肩を並べる必要なんてないと思った。体が軽くなった気がした。

コスパの良さという魅力、消費して良さそうという安心感

こんなこと言うと身もふたもないけれど、ジャニーズはかなりコスパが良い。在宅でも楽しめ、ローリスクハイリターンだった。
そもそも現場にいける層というのが少ないので、在宅でも楽しめるのが当たり前の仕様になっているんだと思う。嵐とか。嵐担で8年もコンサートにいけてないという人がいて血の気がひいた。
舞台は行かないと始まらない。現場に行くたびに時間とお金がかかる。都内在住だから金額的にも移動時間的にも少ない方だとは思うけれど。
今までは別にそれでもかまわない、それでも観たいと思っていたけれど、それが負担になってきた。
テレビをつけたら萌えられる手軽さ。録画録音しておけば、いつでも自分の都合の良いタイミングで摂取することができる。
自分の体調やらなんやらの照準を舞台にあわせて生きていくことの不自由さを感じるようになってしまった。
決して舞台が嫌いになったわけではない。
なるべくエンタメ趣味に関してお金をかけないでやっていくという前提条件が生まれた時に、劇場に足を運ぶ回数を減らすしかなく、劇場に行けないとなるとそのバックボーンをのぞく気力を失い、舞台自体への興味が薄れるという流れmなのだと思う。
そして、ファンの母数の多さが、彼らをそうやって消費してもかまわないと思わせてくれる。

加速するジャニーズへの好奇心

そんななか、勢いだけで申し込んだコンサートに行けることになった。ゆうちょATMに飲み込まれていった5枚の振込用紙のうちの1枚がチケットになって届いた。
行けると分かったら、より好きになっていった。シングル、アルバムは初回から通常盤まで買う。最初はためらっていたが今は迷いなく予約するボタンをクリックしている。CD、DVD1枚とっても、舞台より安いのである。オタクの母数が多いから面白いオタクも多いのも魅力的だった。あと、情報量が多くて全部把握しきれないから知りたいという欲求が枯渇することなくて持続性があるのも良いし、なんなら全部把握している人は凄いという評価になるのも俳優オタには画期的。ほんと手軽。俳優オタは知ってて当然っていうところある。

「オタク」であり続ける

もちろん楽しいことばかりじゃない。私がこうやってJUMPにのめり込むことで悩むのは、ずいぶんと薄いオタクになってしまったなということである。

常々、私は「オタクをしている私」が好きな部分があると思っている。だから、たとえば恋愛モードに入ると非常に不安になって、かえってDVD観る時間やグッズにかけるお金が増えていく傾向にあるんだけど、同時に結婚したい欲もあって、人生足りない、とよく思っている。
今だって仕事と交友関係を優先しているので、当然のように旦那や子供がいたら、そちらを優先すると思うんだけど、それがずっと続いていくと思うと「オタクの私」が私のことを私だと認識するにはどうしたらいいのか、「オタクの私」としての承認欲求はどうやって満たされていくのか、と不思議に思う。そんなとき、茶の間でふと空いた時間に片手間に楽しめるのは、とても良い。私も子どもと旦那もみんなハッピーになれる。私が私の欲求をすべて満たすために選んだ道が、いま進もうとしている道なんだと思う。結婚の予定は特にないが。

「推し」という言葉。

よくよく議論されるものだけど、一度推した人を嫌いになったことはない。ただ、個人的に「推し」というのは、きちんとその人の活動の後押しをお金という形で示しているか、と思っている。漢字を考えたら、推薦していたら、周囲への広報活動をしていたら、良いのかもしれないけど、私の定義はあくまで舞台に行きリリースものを買うことが大前提である。だから、推さなくなったのは好きじゃなくなったということではない。
でも、お金にも限度があるように、「好き」という気持ちにもキャパシティーはあると思っていて。どうしても優先順位はある。
それでも、三津谷さんと矢崎さんから次の俳優に行くことはもうないなあと思っている。それはもう若手俳優推しから離れることと同義だと思う。
彼ら以上に好きで「推したい」と思う俳優にはもう出会えないと思うほどには好きだし、そういう存在をアグレッシブに探しだそうと思うほどの興味は「若手俳優界隈」への興味関心は薄れた、と思う。そんなことを考えていたら、自然と観劇回数が減った。それだけの話をするのに、これだけかかった。3行で終わるよね。

これからのこと

今月、はじめて三津谷さんの舞台をとばした。
全現場というハードルを下げたら案外気持ちの整理が着くのは早かった。次もとばすつもりだ。
私は彼の言葉に甘えているのだと思う。皆さんの歩幅で応援してください。ファンにこんな言葉をかけてくれる人がどの世界にいるだろうか。観なきゃ損!という言葉が氾濫する世の中である。なんとも美しい。美しすぎて、ちょっと疲れた。わがままだけど。今しかない!観とけよ!っていうような勢いがあって、でも儚い、そんな女性アイドルにやられてしまったのは、そういうこともあるだろう。私は儚いものが好きなのかもしれない。

とか言って、これで三津谷さんにもしものことがあったら私は私を責めるんだろうし、追い続けたクラスタと比べて自分を卑下し続けると思うのだけど。でも、今は今。

現場に行かなければわからない感情もあるし、行くことがなくなることは無いと思うんだけど、私は私の歩幅で、好きなものだけ観る。そんな雑食なオタクになるんだ。

今、これを横アリのベンチで書いている。
そう、今日はHey! Say! JUMPのコンサートの日だ。今日までに書きたかったのは、そういう理由があった。
あと5分。
どんな景色が待っているだろうか。
今さっき、potからメールがきていた。2017年、また三津谷さんのソロイベントがあるらしい。
なんで今日そういうこと発表するのよ。
どうしようか。
まあいい、それはまた後で考えよう。

とにかく、イケメンを通して、いろんなものを見つめ直しにいってきます。