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とはずがたり

ぬるま湯の中 首までつかってる いつか凍るの それとも煮え立つの

自分語り①わたしと若手俳優

自分語り

ta35.hatenablog.com


2016年の観劇以外のパートを振り返るとは言ったものの、まず何から書き始めれば良いものか…
悩んでしまうと手がいっこうに動かなくなり迷宮入りしそうなので、とりあえず時系列的に振り返ることにした。自分の記憶だけで書いているので時系列って言ってもあやふやな部分が多いけど。

全てのはじまり

2007年のお正月。忘れもしない。今書くために思い出しても、どうでもいいスタートの切り方だが、そのわりに、この時の情景は今でも色付きで鮮明に思い出せる。

私は高校生だった。学生時代の私の正月の過ごし方は寝正月一択であり、その日もコタツに肩まで潜ってドロドロに溶けそうなほど退屈しながらテレビを観ていた。放送されていた番組は『新春かくし芸大会』。かくし芸とか言って隠してないよねー、なんていうお決まりの茶々をいれながら観ていたら、中国獅子舞とやらを必死で練習するイケメンたち*1が画面に現れた。とにかく危ないとしか思えないことをイケメン達が一生懸命に練習している光景は異様だった。一体彼らは何に突き動かされて、こんなにも無我夢中に練習しているのか…。

D-BOYSと出会う

決して一目惚れというわけではなかったのだが、いかんせん暇なので、目の前にあるパソコンのブラウザを立ち上げた。何もしないと決め込んでコタツに潜り込んでいた私を、起き上がらせパソコンを起動してブラウザを立ち上げる程度には彼らは私をときめかせた。斉藤兄弟のことは知っていたので、知らないイケメン達を調べようと思って、彼らの名前のあとについていた「D-BOYS」という単語を検索してみた。(鈴木裕樹の顔がタイプだったのもある。)てっきりアイドルかなんかかと思っていたのに、なんと彼らは「若手俳優集団」だという。初めて耳にする単語である。若手俳優?俳優集団?調べがいがありそう。そう思った。この人たちのことを知りたいという気持ちが私の手を動かしていた。冬休み中じゃなかったら興味をもっていたかどうかわからないし、ここで出会っていなくてもいずれどこかで出会うことになったのかもしれない。どちらにせよ、当時の私はここが人生のターニングポイントになるなんて微塵も思ってなくて、本当にただの暇つぶしだったと思うんだけど、振り返れば私の若手俳優オタク人生の始まりは紛れもなくこの瞬間の衝動である。

D-BOYSにハマる

検索すると公式サイトやブログなんかが出てくるので、最低限の情報は得られた。でも役者というなら演技を見てみたいと思うのが当然の流れ。冬休み中の学生、暇だし、とりあえずYouTubeの動画にも手を出した。それが『DD-BOYS』だった。まあもう時効だと思って言うけど、(今だって完璧とは思ってないけど、当時はネットリテラシー皆無だったし、そうやって動画をみて済ませることでどこがどう被害を被るのかって知らなかったし、あとお金使わないとオタクじゃないなんて思考でもなかった)あがってる動画を全部みた。数分見た段階で見続けられるな、と思った。なんかイケメンいっぱい出てたし。演技も耳を塞ぎたくなるような棒じゃなかった。それでもやっぱり、大好き!とかじゃなく、かっこうの暇つぶしみつけた~くらいの気持ちでいたと思う。
余談だが、私はいまでもワタナベの制作のD関連の番組の中でDD-BOYSは唯一と言っていいくらい好きな番組で、彼らの人となりや「若手俳優」という曖昧な存在に興味を抱くには十分な内容だった。それ以降、ワタナベが作るコンテンツが本当に好きになれなくてストレスだったけど、それは私が彼らをすでに知っているからだったのかもな、と今になって思う。よく考えたら、構成はそんなに変わっていない気がするもの。わたしがDD-BOYSに魅力を感じたのは、Dとはじめましてだったからかもしれない。
話を戻す。寝正月と言っても、掃除とか買出しの手伝いとかいろいろあるもんで、DD-BOYSを見終わる頃には三が日も終わり、学校も始まる頃だった。学校がはじまり忙しくなったら忘れるだろう、そんな想いとはうらはらに私の関心は深まる一方だった。「俳優オタク」という生き方を知らないから、この感情をどこにどうぶつけたらいいか分からなかったが、とりあえずまだ見ぬ動画を求めてネットの海に出る日々だった。いろんなことを知った。柳のことには胸を打たれた。えんやの代役を全うするという気概にも震えた。この年代の男性なんて野心に燃えている頃だろうに、その感情を露わにせず柳をフォローして柳にダーリンと呼ばれるなんて夢みたいな関係だと思った。しろたんのカリスマ性には度肝を抜かれた。わだまーの年齢詐称には笑ったけどマラソンにはめっちゃ感動し、偽ってまでやりたかったことなんだと好意的に受け取るくらいには彼らに絆されていた。他にも、せと、とも、あだーちん、かじ、ちゃんなか、しゅんじ、しんごちゃん、くまい、みなかわといたけれど、ゲキレンが始まったズキアラに夢中になった。見るからに気の合わなそうな2人がセット売りされている状況というのはなんとも萌えるものであった。当時はセット売りなんて単語、出てこなかったと思うけど。本能でこの2人を追いかけねばならないと感じた。私は姉と2人姉妹なので今までテレビから特撮が流れていた記憶はないのだが、高校生にして初めてスーパー戦隊というものを認識し能動的に日曜日の朝にテレ朝にチャンネルをあわせるようになった。流れで電王を観て仮面ライダーにハマったのも良い思い出である。

ニコニコ動画を知る

3月に入るとYouTubeの動画はみつくしてしまって他の動画サイトに手を出すようになった。それがニコニコ動画だ。β時代だったと記憶しているが、そこにあがっていたDD-BOYSの打ち上げ動画が見たくて、悩んだ末に登録した。オタク社会を知らなかった私*2にとって、よくわからないものに登録しても良いものかどうか、不安だったのである。と、まあそこまでして観たかった動画は、皆で飲んで食べて話しているだけの映像だったけど、この時すでに、そんな映像をみて「たまらない…」と思うまでになっていた。

そしてテニミュ

ニコニコ動画ではタグという文化を知った。*3どうやら関連動画が見られるらしい。D-BOYSやDD=BOYSと並んでいたのは聞きなれない「テニミュキャスト」という単語。なんだろう…と思ったがクリックはしなかった。目的の動画を観られたし、ニコニコ動画との付き合いはそれまでだと思っていた。
しかし、その頃のニコニコ動画というと、テニミュの空耳が圧倒的なシェアを占めていた。トップページに飛ぶとサムネが大きく載っていて嫌でも目に入ってきた。その「テニミュ」とやらがD-BOYSと関わっているらしいと知り、とりあえず再生してみた。わたしテニプリ世代だし、なんかなんとなくクリックしちゃった…それが第2章のはじまりになるとも知らずに。
初見の感想は、へー…って感じだった。本当に。住む世界違うな、って正直思った。いま考えたら嘘でしょ!?って思うけど。第一印象はそんな感じ。それがコロッとかわったのは「泣けるテニミュ」タグに行き着いたときだったと思う。どうやって動画を辿ったか忘れちゃったけど。空耳ばっかり観て本編をきちんと観たことは無かったのだけは確かだ。泣けるテニミュで最初に出てきた動画が2代目卒業式の映像だった。当時は卒業制度とか知らないんだけどね。その映像は衝撃だった。成人男性って泣くんだ…という素直な衝撃。いや、よく考えたら老若男女が泣くという生理機能を持っているわけなんだけど。親戚や近所にも年上のお兄さんと呼べる人がいなかったから近くにいる男性は父親や祖父か学校の先生くらいで。その人たちが泣いている姿というのは想像できなかったし、あとはドラマで綺麗に泣く男性しか観たことがないから、顔をグシャグシャにして泣く姿には、なにか言葉に出来ない感情を呼び起こされた。特に鈴木裕樹のおっきなおめめからポロポロとこぼれる大粒の涙に心が踊るのを感じた。テニミュというものはなんだかよくわからないけれど、成人男性が達成感と別れの悲しさで泣いてしまうようなコンテンツなんだ…興味が湧いた。

第2章突入

早速、検索窓にテニミュと入力した。
開かれたページには、「Dream Live 4th」と書かれていた。
…ん?
今考えてもハードルの高い入り口である。テニミュを調べようと思ったらコンサートを紹介されてしまった。なんかよく分かんない…というのが第一印象である。今は知らないがあの頃はDVD本編がYoutubeに上がっていたのでとりあえず観た。その動画には大好きな鈴木裕樹は出てこなくて、そこではじめて代替わり制度を理解した。一通りみた私は2代目よりは初代が好き~とか言うようになっていた。ただ、チケットの取り方は分からないし、当時の(今もだけど)私は自意識過剰で羞恥心の塊に突然変異で頭脳がそなわったみたいな生き物なので親にこれに行きたいとも言えなかったし、インターネットを通じてテニミュや若手俳優の世界と繋がる日々が続いた。D-BOYSが好き、とは別にテニミュが好きという感情が芽生え始めていた。



つづく

*1:メンバー全員思い出せなくて、調べたら斉藤祥太・慶太、遠藤雄弥、鈴木裕樹和田正人加治将樹皆川佑馬渡辺和洋アナだった。

*2:女子アイドルが好きだった時代もあるけど、直近は邦ロックに夢中でスペシャが全てだった。

*3:ニコニコ動画の仕組み自体に興味を持ち、ボカロにハマるのはまた別の話。