とはずがたり

ぬるま湯の中 首までつかってる いつか凍るの それとも煮え立つの

飛龍伝@本多劇場

25日にみてきました。チョンガンネだと出演者補正かかるので、その前に中屋敷さん演出をみてみたくて。結局、橋本さんとかじくん出ちゃってるんでなんとも言えないけど。


すごかった。泣いた。化粧ボロボロだろうから人が減ったら鏡みて直してから席たとうと思って終演後も座ったままでいたんだけど、隣のおにいちゃんに心配されるほどには、ボーッとしてたらしい。生気抜けてたかな?wなんかね、嗚咽だけは迷惑になるので我慢しようと思って必死で我慢してたら、うまく呼吸できなくなって酸欠気味で頭痛くなったのでしたw
観る前は理解できるかどうかっていう不安があった。だって、全共闘世代なんて親より上の世代であって全く実感のわかない出来事だし、学生運動ですら遠いところにあるから。でも、中屋敷さん筆頭に20代のキャストでやるとなると、全共闘そのものは関係なくて、もっと奥にある本質、なんで全共闘なんてものをやってたのか、何を目指して何を望んで動いていたのかっていうところが、この飛龍伝においては大切だったんだと思った。現に全共闘や安保の説明なんて無いに等しかったし。中心にあるのは神林と桂木と一平の愛の物語と神林の苦悩だったと思う。で、愛の物語にする上で、神林は全共闘40万を率いる委員長というよりも一人の女性としての描かれ方が強くなったのかな、と。
それから、「ただそこに生きる人々の姿を、今の観客に提示することだけを考えて作りたい」って中屋敷さんはインタでおっしゃってて、たしかに賛同するでも批判するでもなく再現されているようにみえた。革命の熱狂に観客を巻き込んで、なんかやる気沸いた!っていう方向にも進まないし。ただただ、あの時代の学生達が何を考えていたのか、それだけが目の前で繰り広げられていた。全共闘そのものをキーワードとして描いているのだとしたら、そこに史実的な説得力がなくてはいけないし、それに対して賛否が生まれると思う。けれども、今回はそうではなく全共闘を通して「若者が何かに夢中に立ち向かう、社会に抗う姿」を描いているわけで、それはいつの時代も形はどうであれ続いていくものであり、誰かによって批判されたり殊更に肯定されるものではないはずだから。
これを可能にしたのは、20代でつくったってところなのだと思う。たぶん、全共闘学生運動を知らないからこそ、言葉は悪いですが「無視」できたんじゃないかな。だから、闘争の背景にある学生たちの何かに抗いたいとか自分の力で社会を変えたいとか、そんなような気持ちに重きをおくことが出来たのかな、と。作り手がリアルタイムでこの闘争を知らないことを見る側が承知していることが重要で、作り手も知らないなら…と、思い切って史実や当時の学生の姿を考えないという選択ができる。そして、神林と桂木と一平を中心とした人間関係の構造だけに集中できたのかな、と。
3人の愛には、神林-桂木、神林-一平、桂木-一平の3パターンあるんだけど、全てにおいてそんな愛の形があるのかよ…つら…ていうね。涙をさそう切ない愛だったよ。メインとしては、神林-一平で学生と機動隊の立場の違う人間のロミジュリ的恋愛なんだけど、神林にとって桂木という人間の絶対性とか、一平と桂木の行き違いとか、とりあえず切ないんだよ。だって、神林と一平は愛してるから殺しあうし、桂木も一平を想ってるから20年後の再会で一平を殺してあげるんだよ。そんな愛があるのか…
他に私が泣いたのは、神林の女としての苦悩がリアルだなあと感じたところ。一平との子供を産むと言い切る場面や桂木と逢う時間をくれと乞い、私は女なのです!と主張する場面とか。ああ、40万の命を背負うこの人も、女なんだよなあ、と。そして、出生のカミングアウトの場面。恋多き女となった理由は、工事現場の作業員に抱かれて黴毒で死んでいったお母さんが手にできなかった、女としての幸せを手に入れたかったのかもしれないなあと思うと泣けた。
あとは、伊豆沼!加治くん!ストで怪我して入院していた妻が、11.26当日に死亡したことを伝えるシーン。妻が委員長にと縫っていたやっけを、供養だと思ってどうか袖を通して欲しいと懇願するわけですが、じっか先生うまいわーずるいわー。あのフォルム(またぽちゃっとしてた)で頭にタオル巻いて妻愛してるって泣かせる準備、万端すぎるわ。ほんとにね、すごかったんだよ。かじくんうまいの知ってたけど、そういえばちゃんとみるのはヴェニスの商人以来で、あれはDステだったし。ともすれば、繰り返し見てる分、桃ちゃんの記憶の方が強いんじゃないかっていうくらい。でもこれからはもうちょっと加治くんの仕事情報に気を張っていこうかなと思うくらいには。うん。まあこれは、D卒業できるよねーて思った。
そして、あっちゃん!ねずみ役ぴったりだよ!さすがだよ!小賢しいというかなんというか。人当たりがよくて懐っこい。こういうのができるのが、橋本さんだと思う!(っていう言葉をあっちゃんを観る度にいいますね私は。何回言えば気が済むのか)
あと間宮くんな!すごいなあの子!鍋でしかみたことなかったけど、もったいないことしてた。というか、露出狂みなかったの去年一番後悔してる。無理してでも行けばよかったなあ。そしたら違う世界が待ってたかもなのに。くやしい。
でも、正直おそかったけど、今回本当にみてよかったと思う。私にとって、学生運動って過去のものだったけど、ストしてる時以外は普通に暮らしてたんだよなっていうのも想像できたし、恋愛もしたんだろうし、あの頃の学生と私たちは実際には何もかわってないんだと思えた。ただ私たちは、そういう気持ちを真正面からぶつけて社会に抗っていくことはしなくなった。本質の部分で何かに熱狂したい夢中で立ち向かって行きたいと思うのは変わっていないのかもしれないけれど。手段の問題なんだと思う。それが賢い選択なのかどうかは私たちには判断できないし、中屋敷さんはその優劣をつけることを目的にしていたのではなさそう。
もいっこ気になるのは、中屋敷さんがツイッターでわざわざずっきーの観劇にふれていたこと。かじが好きならずっきーも好きなはず!しかも書き手に興味のあるずっきーだもん中屋敷さんと楽しいお話ができると思うので、かじくんキューピットになったらいいとおもいます。
それとさ、この飛龍伝でつか作品に対してどう感じたのかはわからないけれど、ぴろしさん村井さんときたら馬場徹に手を出したらいいんじゃなかろうか。つかさんの秘蔵っ子だよ。気にならないかい…?と劇場でもらった折込の中に入ってた熱海殺人事件のチラシみて思いました。
そんなわけで、初めての中屋敷演出は超絶好みでした。チョンガンネ楽しみだし、発情ジュリアス・シーザーもぜひみたいです。中屋敷さん自身が型の美学を好まれるらしいので、それを堪能するにはやっぱり柿を観に行かないと、と思いました。今年の目標にします。